幸田文の「みそっかす」を読んでいる
何度か人の家で(!)幸田文の物を読んだことがあったが、
一度ちゃんと読んでみようと思った。

父の話によると、炭取りと火消し壺は母が大事な財産だといっていたという。一刻も早く火を得るために、経済のために、火の用心のために、そして料理に即応するために、あらいおき、こまかい焚落とし、炭火を消すための、というようにいくつもの火消し壺があったという。炭取りも粉炭の、堅炭の、土竃炭のというように種類があって、整理していたという。


こんな文章に心を動かされる。
あらい“おき”とはどんなものだろう 焚落としとは?
使っているところを想像してみる。
不思議なことに、子供の頃「大きな森の小さな家」を読んでいた時と同じような気持ちになる。
ローラ=インガルスが母と姉と一緒にバターを作る様子が細かく描写され、そこを繰り返し読んだ。
それと同様に、幸田文の母親が火を少しだけ残したり、消したりしている様子を思い浮かべるのだ。

家事の仕事としての美しさに惹かれるのだろうか。