神の意志

先日 子どもが卒園した幼稚園の50周年おいわい会に出席してきた。
戦後十数年経って教育体制がととのい始めた頃できた
幼稚園 学校は そろそろそんな時期なのだろう。


キリスト教系の幼稚園なので
会は礼拝の形式で行われた。
祈りに始まり 祈りに終わる。
園長先生のお話は 聖書からのお話。


今回のテーマは
「神はその望むことを 人の手を通じて行う」ということだった。
つまり 
神様が 直接Aさんを金持ちにしたり 幸せにしたりするのではなく、
神様が Aさんを幸せにしたい時は 私たちがその意志を感じて
Aさんのために働いたり、優しくしたりする。
ということだ。(神学には詳しくないので間違っているかもしないが) 
だから祈りは
「神様私たちが神様の意図をしっかりと受け止めて
その望むところに従えるように導いて下さい」というものだった。


なるほど だとすると 神の名のもとに戦争をしたり
残虐な行為をしたりしている人たちは
もしかして 神の意図を間違えて受け止めているにすぎないのかもしれないのですね。
神が悪いのではなく あくまでも人間が悪いのだ。
と 考えると ちょっと目から鱗が落ちた気分。
(だからといって全然納得したわけではないけれど)
信仰を持っている人にとっては当たり前のことかもしれないけれど 
「神様 次の試合勝てますように」なーんて祈りが当たり前だと思っていた自分には新鮮な話だった。


自分は神の意図を受けとめてはいないと思うが
(そもそも信仰がないんだから無理に決まっているんだけど)
自分なりの良心や 意志にしたがって日々の選択を行っている。
それが 自分に対して恥ずかしくない道であることを
いつも願っているし 望んでいる。
ときおり いや 頻繁に あまえて 楽な道にすすんだり
自分をごまかしてしまうこともある。


もし神がいるのならば その前にでたとき
自分は頭を垂れるしかないだろう。
しかし せめて自分の前でだけは
頭を上げていられるように 恥ずかしくない道を歩んでいきたい。